本や雑誌を眺めていると、このところ「エントロピー」という言葉が目に付く。目に付くのは、私自身がエントロピーについて関心を持っているからにほかならない。今から20年ほど前に、雑誌でその概念を知って、大いに心を動かされたものである。その頃は環境問題が盛んに議論されていて、食堂の割り箸を使わずに、自分の箸を持ち歩く人が出始めたころだった。高校の事務室のコピー機に、「地球のエントロピーの増大を防ぐためにも、森林を伐採して作られる紙の使用をできるだけ節約するように」という趣旨のビラを、貼り付けた。外国産の木材からパルプを得て紙が作られるのだから、紙の使用量と減らせば外国にある森林が守られるという考え方だ。物理の先生がそれを見て、「うーん」と腑に落ちないような顔をしていた。エントロピーの用語の使い方に問題がありそうだということだと思う。エントロピーの本来の意味は、熱力学の法則そのものの説明で用いられるものだからだと思う。
私にとって二度目のエントロピーへの接近は、第2回でも書いたように福岡伸一著の「生物と無生物のあいだ」(講談社現代新書)を読んだことであり、同書に引用されていた清水 博著の「生命を捉えなおす」(中公新書)も読んだためでもあった。エントロピーに関する記述で、清水氏はミクロな状態の総数の対数を使ってマクロな系の状態の多様性を示す指標とし、この指標を「エントロピーと呼ぶことにします」と定義されている。私は学者ではないのだから、エントロピーを正確に定義して正しく使用する義務はない。生物学におけるその中心的な概念をセンシングすれば、それで足りるのだから。
以前から不思議な思いで見ていた現象がある。夏、ホースで水を撒いているとき、ホースの先端を手から放すと、まるで蛇のようにうねり始める。ホースがまるで意志を持った生き物のように見える。でも、ホースが受ける水圧を緩め続ければ、やがて動かなくなる。このような単なる物理現象が、どのような経過をたどってDNAを備えた生物に変身したのか私は分からない。しかし、時間の経過とともにエントロピーが増大するという自然の法則に逆らって、子孫を残すことができる生物に変身したことは、本当に驚くべきことである。
週刊ダイヤモンド3月1日号には上田氏の「3分間ドラッカー」というコラムに、「企業の役割は経済のエントロピーの法則を打ち破ることだ」と書かれている。この場合のエントロピーの使用例は、熱力学の法則や清水氏の定義するものとも大きく懸け離れている。それゆえにドラッカーは「経済のエントロピーの法則」と言ったのだと思う。今やエントロピーは、①「秩序から無秩序への移行」あるいはその逆の変化、②量的変化から質的変化、に対する比喩として使われるようになった感がある。
私の話がエントロピーという言葉の国語的な解釈に終始してしまった。常識を越える例外的な現象があることを、サムシング・グレイトの存在に置き換えて理解した方が、本当は私にはわかりやすいのだが。
2008年2月29日金曜日
2008年2月24日日曜日
大学の公開講義
滋賀県立大学から20年度前期公開講義のお知らせが来た。今回も受けようと思っている。受講目的は、今年から始める養鶏の試験的飼育に役立たせるためだ。募集要項では89科目あるが、とりあえず2科目を受講しようと思っている。
一つは「栄養生化学」である。柴田克己教授の担当。概要は、健康の維持・増進の基になる栄養素の化学と栄養素の代謝を理解することだ。講義の内容は人間を対象にするものだが、私は鶏に置き換えて考えようと、もくろんでいる。講義は全部で14回あって、アミノ酸・ペプチド・タンパク、酵素、ビタミン、ミネラル、糖質、糖質の代謝、クエン酸サイクル、電子伝達と参加的リン参加、脂質と膜、脂質の代謝、アミノ酸の生合成、アミノ酸の異化、核酸、代謝の総合的理解、となっている。
福岡伸一氏の「生物と無生物のあいだ」を先日読んだ。文学的素養が随所に見られ、ありきたりの推理小説よりもはるかに面白く、どきどきしながら読み通した。私の息子もこの本を読んでいたので感想を聞いたら、「なにを言いたいのか、よく分からない」とのことだった。確かにそんな傾向はあるが、私は生化学の知識を得ることが目的だったので、初学者に対する懇切丁寧な説明で、難解なこの分野のガイダンス的な理解に役立った。だから、県立大の栄養生化学に期待している。テキストは、「マッキー生化学」だが、福岡氏が「監訳」で関わっているのも何かの縁だ。
鶏の生化学ということにすり替えて理解しようと思う。鳥類は爬虫類から分化したものだと思っているが、人間も遠い祖先はその他の生物とどこかで繋がっているのだから、栄養も似通っているんじゃないだろうか。鳥類には気嚢があり、酸欠状態でも生き延びることができるが、鶏のその他いろんな身体的特性を利用して、早く大きく生育させる方法を考えたい。また、その辺を知的財産権として固められたらいいんだけどなあ。
二つ目の受講科目は「人間文化論C」である。家族、住居、食事の三分野を土屋教授、早川教授、松嶋講師が担当される。鶏は早くから人が飼育を始めているので、人間の文化との関わりはきわめて深いものがある。鶏の原種はインドシナ半島ではなかったろうか。とにかく現在でも、東南アジアでは沢山飼われている。詳しくは知らないが、家族と鶏が同居しているらしいことから、今、問題にされている鳥インフルエンザの人への感染が危惧されている。グーグルニュースのインド版を見ていても、健康欄には鳥インフルエンザの鶏への感染が載っている。消毒や殺すことを嫌がって、住民が抵抗しているらしい。イギリスでも野鳥がH5N1型に罹っているらしい。インドネシアや中国でも、鶏から人への感染が報道されている。H5N1型鳥インフルエンザについては、厚生労働省・国立感染症研究所・全国保健所長会、それから岡田晴恵氏・小樽保健所のホームページが詳しい。話があちこち飛んでしまったが、鶏と人間の文化史を頭に置いてこの講義を聴こうと思っている。
こんな分類はあるのかどうか知らないが、私は、食事の調理法を三つに分けたい。日本のように水が豊富なところでは、「水多使用型調理法」。一方、乾燥地帯など飲料水が容易に得られないところの「乾式調理法」、そして「中間型」とする。(調理の専門家でもない者がこんなことを主張していいのかな。)
日本人の清潔好きは、水が豊富だからできることであり、調理の際にもやたらなんでも洗いたがる。もちろん水が豊富だからいろいろの植物が生育するので、それを採取して食材にする。植物にはアルカロイドが含まれているので、それを煮てアルカロイドを取り除く。あっそうか、日本では植物性の食材を多く使うから「水多使用型」になるんだ。その点、乾燥地帯では羊などの動物性の食材を使うから水の使用が少なくて済む。乾燥地帯のモンゴルなんかでは、羊の血まで食材にするらしい。
私の言いたいことは、日本では植物性の食材を中心とするから、よく水を使うことになり、手間が掛かる。鶏肉だって野菜と一緒に煮ることが多いから、手間が掛かる。養鶏をして鶏肉を供給する立場になると、人の生活文化に沿った食材を提供すべきであり、多様化する食事のスタイルに適合する食材を開発しなければならない。うんそれだ。人間文化論をしっかり聴講して、食材を開発し、その国に合ったものを輸出するのだ。だいぶん大きな話になってきたが、このくらいは事業の理念として考えておかないと。H5N1型のウイルスを持った野鳥がもうすぐ日本にも飛んできて、そのうちパンデミックが起きようとしている矢先に、養鶏を真正面から取り組もうとするのだから、リスクも大きいなあ。
皆さん、パンデミックの対策は少しは進んでいますか。昔、オイルショックの時にトイレットペーパーが品切れになったように、パンデミックになればマスクや解熱剤は品切れになりますよ。雪が降ってスコップが品切れになるように。さきほどのホームページを見て、すこしづつ準備をしていきましょう。
一つは「栄養生化学」である。柴田克己教授の担当。概要は、健康の維持・増進の基になる栄養素の化学と栄養素の代謝を理解することだ。講義の内容は人間を対象にするものだが、私は鶏に置き換えて考えようと、もくろんでいる。講義は全部で14回あって、アミノ酸・ペプチド・タンパク、酵素、ビタミン、ミネラル、糖質、糖質の代謝、クエン酸サイクル、電子伝達と参加的リン参加、脂質と膜、脂質の代謝、アミノ酸の生合成、アミノ酸の異化、核酸、代謝の総合的理解、となっている。
福岡伸一氏の「生物と無生物のあいだ」を先日読んだ。文学的素養が随所に見られ、ありきたりの推理小説よりもはるかに面白く、どきどきしながら読み通した。私の息子もこの本を読んでいたので感想を聞いたら、「なにを言いたいのか、よく分からない」とのことだった。確かにそんな傾向はあるが、私は生化学の知識を得ることが目的だったので、初学者に対する懇切丁寧な説明で、難解なこの分野のガイダンス的な理解に役立った。だから、県立大の栄養生化学に期待している。テキストは、「マッキー生化学」だが、福岡氏が「監訳」で関わっているのも何かの縁だ。
鶏の生化学ということにすり替えて理解しようと思う。鳥類は爬虫類から分化したものだと思っているが、人間も遠い祖先はその他の生物とどこかで繋がっているのだから、栄養も似通っているんじゃないだろうか。鳥類には気嚢があり、酸欠状態でも生き延びることができるが、鶏のその他いろんな身体的特性を利用して、早く大きく生育させる方法を考えたい。また、その辺を知的財産権として固められたらいいんだけどなあ。
二つ目の受講科目は「人間文化論C」である。家族、住居、食事の三分野を土屋教授、早川教授、松嶋講師が担当される。鶏は早くから人が飼育を始めているので、人間の文化との関わりはきわめて深いものがある。鶏の原種はインドシナ半島ではなかったろうか。とにかく現在でも、東南アジアでは沢山飼われている。詳しくは知らないが、家族と鶏が同居しているらしいことから、今、問題にされている鳥インフルエンザの人への感染が危惧されている。グーグルニュースのインド版を見ていても、健康欄には鳥インフルエンザの鶏への感染が載っている。消毒や殺すことを嫌がって、住民が抵抗しているらしい。イギリスでも野鳥がH5N1型に罹っているらしい。インドネシアや中国でも、鶏から人への感染が報道されている。H5N1型鳥インフルエンザについては、厚生労働省・国立感染症研究所・全国保健所長会、それから岡田晴恵氏・小樽保健所のホームページが詳しい。話があちこち飛んでしまったが、鶏と人間の文化史を頭に置いてこの講義を聴こうと思っている。
こんな分類はあるのかどうか知らないが、私は、食事の調理法を三つに分けたい。日本のように水が豊富なところでは、「水多使用型調理法」。一方、乾燥地帯など飲料水が容易に得られないところの「乾式調理法」、そして「中間型」とする。(調理の専門家でもない者がこんなことを主張していいのかな。)
日本人の清潔好きは、水が豊富だからできることであり、調理の際にもやたらなんでも洗いたがる。もちろん水が豊富だからいろいろの植物が生育するので、それを採取して食材にする。植物にはアルカロイドが含まれているので、それを煮てアルカロイドを取り除く。あっそうか、日本では植物性の食材を多く使うから「水多使用型」になるんだ。その点、乾燥地帯では羊などの動物性の食材を使うから水の使用が少なくて済む。乾燥地帯のモンゴルなんかでは、羊の血まで食材にするらしい。
私の言いたいことは、日本では植物性の食材を中心とするから、よく水を使うことになり、手間が掛かる。鶏肉だって野菜と一緒に煮ることが多いから、手間が掛かる。養鶏をして鶏肉を供給する立場になると、人の生活文化に沿った食材を提供すべきであり、多様化する食事のスタイルに適合する食材を開発しなければならない。うんそれだ。人間文化論をしっかり聴講して、食材を開発し、その国に合ったものを輸出するのだ。だいぶん大きな話になってきたが、このくらいは事業の理念として考えておかないと。H5N1型のウイルスを持った野鳥がもうすぐ日本にも飛んできて、そのうちパンデミックが起きようとしている矢先に、養鶏を真正面から取り組もうとするのだから、リスクも大きいなあ。
皆さん、パンデミックの対策は少しは進んでいますか。昔、オイルショックの時にトイレットペーパーが品切れになったように、パンデミックになればマスクや解熱剤は品切れになりますよ。雪が降ってスコップが品切れになるように。さきほどのホームページを見て、すこしづつ準備をしていきましょう。
2008年2月21日木曜日
第5回アグリビジネスーカフェの報告
昨夜、3時間かけて作成した文章が投稿に失敗して飛んでしまった。でも、今から考えると少し性急に投稿しすぎたようだ。手紙は一日置いて発送せよという言葉の通り、やはり見直す時間が要る。
さて、2月8日、長浜ドーム研修館で開催された標記の会合の結果を、再度、投稿する。
はじめは、帝京平成大学教授の橋本直樹氏の「これからの農業食品の安全と安心」について講義があった。「安全」は科学の問題であり、「安心」は心の問題だとのこと。もちろん、科学は仮説であり、新たな知見が得られれば改められることは言うまでもない。
ここで簡単にADI(Acceptable Daily Intake)一日許容摂取量について確認しておく。
中毒には急性中毒と慢性中毒とがあるが、ADIは毎日一生とり続けても慢性中毒にならない量である。たとえば、ソルビン酸のADIは、25㎎/㎏体重/日であり、日本では成人の体重が50㎏とされているので、1日あたり 1250㎎が許容量である。このADIは、ねずみに毎日与えて問題がなかった量、すなわち「無毒性量(NOAEL)」に安全係数として1/100を掛けた数値である。
食品添加物・農薬のADIは、国立薬品食品衛生研究所の食品添加物や農薬のADI関連情報データベースから検索できる。メタミドホスやクロルピリホスなどの中国関連殺虫剤も検索できる。
内分泌攪乱物質である環境ホルモンでは、船や漁網に貝殻が付着しないように塗る塗料のトリブチルスズ、子供の食器に使われたことのあるポリカーボネートから溶出するビスフェノールが問題視されている。ビニール手袋の可塑剤に使われるDEHP(フタル酸ジエチルヘキシル)やスチレン樹脂から溶出するスチレンモノマー、スチレンダイマーにも気を付けなければならない。
四分の一の食品が捨てられている現実、食べ過ぎによって肥満になり、糖尿病や心臓病になることも考えて見る必要があるとのことであった。
元近畿農政局長の重田 勉氏の「小麦関連産業の現状と課題」もおもしろかった。
小麦の主要産地は、北米、南米、豪州、ヨーロッパであるが、南半球と北半球とでは収穫時期や天候が違うのでリスクが相殺される。また、小麦の価格は、シカゴの穀物市場の相場が基準とされてグローバルな統一価格であるので、価格の変動が少ない。ただし、豪州の干ばつやバイオ燃料の生産、投機資金の流入などの要因で、最近は大幅な値上げになっている。
小麦粉はタンパク質の含有量によって強力粉(キョウリキコと読む。食パン用)、準強力粉(ラーメン、餃子の皮)、中力粉(うどん、即席麺、ビスケット、和菓子)、薄力粉(カステラ、ケーキ、和菓子・天ぷら粉)とデゥラム・セモリナ(スパゲッティ、マカロニ)に分かれている。小麦の輸入数量は18年度で474万トン。これに対し、国産小麦は63万トンであり、全体の11%強にしかならない。
遺伝子組替え小麦はモンサント社が米国で認可申請をした。安全は確認されたが、消費者が受け入れないようだ。砂漠にも小麦が植えられると、需給が変わってくるうえ、価格も下がることになるので、このGM小麦は時期尚早だと言っておられた。
小麦についてはグローバルに取引されるので、日本の生産者も、もっと勉強する必要があると思う。
私も二点質問しておいた。
1.飼料用米が一般米に混入しないように魚粉を混ぜさせられるが、色を着けるとか、なにかの物質
を混入して検知器で確認するなど効率的な方法はないか。
2.製粉技術が向上して、米を麦の代用に使うようになっているようだが、今後の見通しを聞きたい。
先日読んだ本(梅田望夫さんか養老たけしさん?)に「西欧人はろくな物を食っていないのに、突然びっくりするような発明や発見をする。この原因は、食事の準備に手間を掛けずに考える時間を持っているからだ。」という意味のことが書いてあった。この見方に痛く感動した。
確かに、米食の食事の準備は大変手間が掛かる。だから、外国でも日本食が人気なのは当然なのだ。ゴッホの描いたジャガイモを食べる家族の絵を見てみなさいよ。いたって簡単なメニューだ。テレビで外国の食事を放送していたが、缶詰を開けたり、果物を切ったり、袋からごそごそ何かを出してきて食っている。パンは大してうまいものではないが、手間が掛からない。パン屋に買いに行くだけで手に入る。日本でもコンビニのおにぎりが人気なのは、よく分かる。この忙しい世の中に昔通りの食事を作っていては手間が大変だもんね。まあ昔に比べれば、炊飯器や電子レンジなど家庭電気製品が出てきたのでかなり省力化されている。しかし、まだ省力化の余地もありそうだし、必要だ。
話が多岐に渡って焦点がぼけたので、ここではっきり言おう。パンに比べてご飯は、持ち運びにも不便だ。ご飯の弁当なんか、お箸でつまんで、こぼれないように食べなければならない。水分が多いので、夏は腐りやすい。だから、値段の高いこともあって、米の消費量は減り続けている。パンのように簡便に持ち運びが出来て、食べやすい調理法が求められる。そうなれば、家事から解放された女性がもっと社会進出できるし、生み出された時間をボーッと過ごしながら、本当に必要なことを考えるようになるのではなかろうか。
さて、2月8日、長浜ドーム研修館で開催された標記の会合の結果を、再度、投稿する。
はじめは、帝京平成大学教授の橋本直樹氏の「これからの農業食品の安全と安心」について講義があった。「安全」は科学の問題であり、「安心」は心の問題だとのこと。もちろん、科学は仮説であり、新たな知見が得られれば改められることは言うまでもない。
ここで簡単にADI(Acceptable Daily Intake)一日許容摂取量について確認しておく。
中毒には急性中毒と慢性中毒とがあるが、ADIは毎日一生とり続けても慢性中毒にならない量である。たとえば、ソルビン酸のADIは、25㎎/㎏体重/日であり、日本では成人の体重が50㎏とされているので、1日あたり 1250㎎が許容量である。このADIは、ねずみに毎日与えて問題がなかった量、すなわち「無毒性量(NOAEL)」に安全係数として1/100を掛けた数値である。
食品添加物・農薬のADIは、国立薬品食品衛生研究所の食品添加物や農薬のADI関連情報データベースから検索できる。メタミドホスやクロルピリホスなどの中国関連殺虫剤も検索できる。
内分泌攪乱物質である環境ホルモンでは、船や漁網に貝殻が付着しないように塗る塗料のトリブチルスズ、子供の食器に使われたことのあるポリカーボネートから溶出するビスフェノールが問題視されている。ビニール手袋の可塑剤に使われるDEHP(フタル酸ジエチルヘキシル)やスチレン樹脂から溶出するスチレンモノマー、スチレンダイマーにも気を付けなければならない。
四分の一の食品が捨てられている現実、食べ過ぎによって肥満になり、糖尿病や心臓病になることも考えて見る必要があるとのことであった。
元近畿農政局長の重田 勉氏の「小麦関連産業の現状と課題」もおもしろかった。
小麦の主要産地は、北米、南米、豪州、ヨーロッパであるが、南半球と北半球とでは収穫時期や天候が違うのでリスクが相殺される。また、小麦の価格は、シカゴの穀物市場の相場が基準とされてグローバルな統一価格であるので、価格の変動が少ない。ただし、豪州の干ばつやバイオ燃料の生産、投機資金の流入などの要因で、最近は大幅な値上げになっている。
小麦粉はタンパク質の含有量によって強力粉(キョウリキコと読む。食パン用)、準強力粉(ラーメン、餃子の皮)、中力粉(うどん、即席麺、ビスケット、和菓子)、薄力粉(カステラ、ケーキ、和菓子・天ぷら粉)とデゥラム・セモリナ(スパゲッティ、マカロニ)に分かれている。小麦の輸入数量は18年度で474万トン。これに対し、国産小麦は63万トンであり、全体の11%強にしかならない。
遺伝子組替え小麦はモンサント社が米国で認可申請をした。安全は確認されたが、消費者が受け入れないようだ。砂漠にも小麦が植えられると、需給が変わってくるうえ、価格も下がることになるので、このGM小麦は時期尚早だと言っておられた。
小麦についてはグローバルに取引されるので、日本の生産者も、もっと勉強する必要があると思う。
私も二点質問しておいた。
1.飼料用米が一般米に混入しないように魚粉を混ぜさせられるが、色を着けるとか、なにかの物質
を混入して検知器で確認するなど効率的な方法はないか。
2.製粉技術が向上して、米を麦の代用に使うようになっているようだが、今後の見通しを聞きたい。
先日読んだ本(梅田望夫さんか養老たけしさん?)に「西欧人はろくな物を食っていないのに、突然びっくりするような発明や発見をする。この原因は、食事の準備に手間を掛けずに考える時間を持っているからだ。」という意味のことが書いてあった。この見方に痛く感動した。
確かに、米食の食事の準備は大変手間が掛かる。だから、外国でも日本食が人気なのは当然なのだ。ゴッホの描いたジャガイモを食べる家族の絵を見てみなさいよ。いたって簡単なメニューだ。テレビで外国の食事を放送していたが、缶詰を開けたり、果物を切ったり、袋からごそごそ何かを出してきて食っている。パンは大してうまいものではないが、手間が掛からない。パン屋に買いに行くだけで手に入る。日本でもコンビニのおにぎりが人気なのは、よく分かる。この忙しい世の中に昔通りの食事を作っていては手間が大変だもんね。まあ昔に比べれば、炊飯器や電子レンジなど家庭電気製品が出てきたのでかなり省力化されている。しかし、まだ省力化の余地もありそうだし、必要だ。
話が多岐に渡って焦点がぼけたので、ここではっきり言おう。パンに比べてご飯は、持ち運びにも不便だ。ご飯の弁当なんか、お箸でつまんで、こぼれないように食べなければならない。水分が多いので、夏は腐りやすい。だから、値段の高いこともあって、米の消費量は減り続けている。パンのように簡便に持ち運びが出来て、食べやすい調理法が求められる。そうなれば、家事から解放された女性がもっと社会進出できるし、生み出された時間をボーッと過ごしながら、本当に必要なことを考えるようになるのではなかろうか。
2008年2月9日土曜日
表現者として登場ぉ、登場ぉっ !
ブログの表現者として、はじめて登壇いたしました長 謙自(オサ ケンジ pen name)です。 私がこのブログを立ち上げた目的は、今年から始める養鶏の試験研究に関して、①自分の考えをまとめるために記述し、②公開することによって、諸賢のご指導をいただこうとするものです。この考え方は、私の長男が読んでいた「ウェブ進化論」梅田望夫著・ちくま新書に触発されたものです。
田舎に住んでいますと、住人の旺盛な好奇心にさらされることが多いのです。空き巣予防のためにも周囲の住人がもっと不審者に好奇心を関心を持って欲しいときには、知らぬ振りを決め込まれたり、逆に家庭内のことには関心を持ってもらいたくないのに、夫婦げんかが知れ渡っていたりというように、住人の好奇心が良い方向に機能しないことが多々あるわけですが、それにもかかわれず私は従来から、できるだけ知らしめるように心がけていました。近年、プライバシーが大きな権利のような顔をしてのし歩いていますが、秘密は、秘密扱いにしようとするから秘密になるという面が大いにあります。秘密をできるだけ公開することによって、閉塞した社会から受けるストレスを少なくしようと努めているのです。
今回、望田氏の本を読んで、「表現者の考えをウェブ上に公開することによって多くの人の目に触れ、一人で考えているよりもはるかに生産的な考えへと変っていく」という主張に、私は同じ考えであり同じ問題の捉え方だと感じました。そんなわけで、さっそくブログを本日立ち上げたところです。
初回は、まず、私の出生の段をご紹介いたします。私は昭和17年、満州国牡丹江市掖河の関東軍陸軍官舎で出生しました。父は軍属、母は電話交換手でした。私は「達夫」という名前を付けられましたが、父の本籍地では、祖父が役場に別の名前を届けてしまいました。戦前、朝日新聞の第一回懸賞小説の当選者の名前を真似たようです。祖父は戦前の講談社発行の雑誌「キング」を愛読しておりましたので、孫の名前を引用したのかも知れません。
以後の経歴を一度に詳しく書いても、小説ではありませんので、意味を成しません。でも、身の上話がまったく役に立たないわけでもありません。よって、本来の農業と養鶏についての工夫をまとめながら、必要の都度、身の上話にも言及していこうと思っています。
このところ「これは明らかに自分にとってブレークスルーだ」と思えることが何度かありました。ブレークスルーは個人の感度を高くすれば、短期間に何度もあると思えてきました。農業・養鶏の課題というと、商品の開発に重点が置かれますが、マーケティングも大切なことですし、大きく言えば、自然的・社会的環境との相互作用にも目を向けなければなりません。そんなことで、何が飛び出すか分かりませんが、ひたすら書き連ねようと思っています。ご意見を期待しています。
田舎に住んでいますと、住人の旺盛な好奇心にさらされることが多いのです。空き巣予防のためにも周囲の住人がもっと不審者に好奇心を関心を持って欲しいときには、知らぬ振りを決め込まれたり、逆に家庭内のことには関心を持ってもらいたくないのに、夫婦げんかが知れ渡っていたりというように、住人の好奇心が良い方向に機能しないことが多々あるわけですが、それにもかかわれず私は従来から、できるだけ知らしめるように心がけていました。近年、プライバシーが大きな権利のような顔をしてのし歩いていますが、秘密は、秘密扱いにしようとするから秘密になるという面が大いにあります。秘密をできるだけ公開することによって、閉塞した社会から受けるストレスを少なくしようと努めているのです。
今回、望田氏の本を読んで、「表現者の考えをウェブ上に公開することによって多くの人の目に触れ、一人で考えているよりもはるかに生産的な考えへと変っていく」という主張に、私は同じ考えであり同じ問題の捉え方だと感じました。そんなわけで、さっそくブログを本日立ち上げたところです。
初回は、まず、私の出生の段をご紹介いたします。私は昭和17年、満州国牡丹江市掖河の関東軍陸軍官舎で出生しました。父は軍属、母は電話交換手でした。私は「達夫」という名前を付けられましたが、父の本籍地では、祖父が役場に別の名前を届けてしまいました。戦前、朝日新聞の第一回懸賞小説の当選者の名前を真似たようです。祖父は戦前の講談社発行の雑誌「キング」を愛読しておりましたので、孫の名前を引用したのかも知れません。
以後の経歴を一度に詳しく書いても、小説ではありませんので、意味を成しません。でも、身の上話がまったく役に立たないわけでもありません。よって、本来の農業と養鶏についての工夫をまとめながら、必要の都度、身の上話にも言及していこうと思っています。
このところ「これは明らかに自分にとってブレークスルーだ」と思えることが何度かありました。ブレークスルーは個人の感度を高くすれば、短期間に何度もあると思えてきました。農業・養鶏の課題というと、商品の開発に重点が置かれますが、マーケティングも大切なことですし、大きく言えば、自然的・社会的環境との相互作用にも目を向けなければなりません。そんなことで、何が飛び出すか分かりませんが、ひたすら書き連ねようと思っています。ご意見を期待しています。
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