昨日は江北図書館へいった。この「江北」という意味は琵琶湖の北の地方を意味する。浅井長政の浅井家を綴った「浅井三代記」などには江北の文字が使われていることからみても、図書館の古さが想像できる。ちなみに、近年は天気予報も「湖北」という言葉に置き換わっている。
この図書館は、明治時代に余呉町出身の杉野某が故郷に蔵書を寄贈したのが始まりである。現在では、これも米騒動の頃に作られた「伊香相救社」が設置管理している。近隣に図書館の無かった時代には、図書館の存在自体、きわめて貴重なことであったことが想像される。
来館の目的が戦前の鶏の飼い方であることを司書に告げると、奥から「養鶏の話」という大正時代に発行された本を出してくれた。この本のタイトルは、右から左に横書きされている。紙は黄変と言うより褐色変になっている。その頃は美濃紙など和紙以外は硫酸パルプによる紙だから、中性紙などあるはずがない。かなり注意して一枚一枚を繰った。この本は貸し出し禁止が原則らしい。そこで、面白そうなことだけ抜き書きした。
雄鳥は去勢すると肉質が良くなるとのこと。ヒナから二三ヶ月くらいが去勢の適期。去勢の仕方も詳しく書いていた。事前に昼夜絶食させておくこと。鶏を板の上に横臥させたとき、首、羽、足が固定できるようにするため、板の適切な位置に穴をあけ、ひもで固定する。睾丸をメスで切り開いて、腸を傷つけないようスプーンで上げておく。切除の器具は、金属の管に針金を折り曲げて通し、丁度、カウボーイの投げ縄のように手元で針金をひっぱると締まるようにできている。それで鶏の睾丸を切除するのだ。手術後は患部にコールタールを塗っておくと治りやすい、とある。ずいぶん乱暴な手術だが、まったく手元に何もないサバイバルの状況が現出されたら、採用してもよい方法である。
去勢で思い出すのは、ジャバ(インドネシアのジャワのこと)から戦後引き揚げてきた親戚の人が、雄猫を自分で去勢したらしいことを小さい頃に聞いたのが頭にこびりついている。祭りの日などに、叔父さんや従妹の居る我が家へやってきて、ぽつりぽつりと話をしていたのを思い出す。穏和な彼がどのようにして猫の睾丸を抜いたのか想像できないから、いつまでも僕の記憶に残っているのかもしれない。
もっと乱暴な方法もあった。肥肉法として、暗室を設けて、その中に鶏を入れ、朝夕の一日二回、濃厚飼料を与える。与え方は、ロート(漏斗:じょうご)を鶏の口の中につっこみ、餌を流し込むのだそうである。この方法は相撲取りの肥肉法に使えるかも知れない。或る養鶏場のホームページを見ていたら、暗室というものがあった。何に使うのかなあと思ったので印象に残ったが、案外、今でもやっている方法なのかもしれない。経営者にとっては、すこしでも「目方が乗る」と、儲けに繋がるのだから。
「鶏の止まり木は同じ高さにする」というのも、大変参考になった。我が家の近江しゃもの鶏舎には留まりやすいようにと、二段の止まり木を作っていた。ところが夜見ると、全部が高い方に留まっている。
この本にはそのことが指摘されており、止まり木は同じ高さにするように指示してあった。「アホと煙は高いところに行きたがる」ということわざがある。年功序列の地域社会では、年齢の若い者が年寄りよりも高座を占めることを戒める言葉でもあるが、「煙と鶏は高いところに登る」と言った方が無難かも知れない。しかし、そんな言葉はアホには届かないかも知れないが。
使われている資材も時代を反映していた。羽虫や「わくも」には、除虫菊や硫黄華。飼料には牛骨粉も載っていた。牛骨粉は狂牛病で問題になったが、それは牛がBSEへ感染するからだ。草を食べる哺乳類の牛を早く大きくさせるのを焦ったためだ。鳥類には関係ない話だろうが、近頃の消費者は過敏だから、外聞を悪くするので止めた方がいいのだろう。なにしろ遺伝子組み換えの大豆に文句を付けているんだから。遺伝子の媒介にアグロバクテリウムを使うことが気に入らないらしい。認識不足の一部のマスコミに消費者が踊らされることがないよう、優秀な理系出身女性も出ているのだから顧問にして、消費者団体自身で研究すべきだ。言葉の文節に一々反応していては、今に日本もどこかの国のようになってしまいますよ。
最後のこれは役立つことを付け加えます。卵は石灰水中に貯蔵すれば、孵化にも影響がないようです。孵化率が百パーセントに近いとありました。私も試してみます。
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