2008年6月28日土曜日

いよいよ軍鶏が鳴き出した

 我が家へヒナを引き取ってから二ヶ月が経った。(引き取り日:4月26日)今朝(6月28日)、変な声が聞こえるのでぎょっとして鶏舎を見に行ったら、軍鶏が鳴き始めた。今のところ、「コケコー」と完全な鳴きようではなさそうだが、早朝から高らかに鳴きだしたら、近所迷惑を考えて鶏舎の位置を移さなければならない。現在は自家の裏だが、人家と距離を置く田圃の中の予定地へ移さなければならない。鶏の成長に急かされて、次の段取りを考える羽目になってしまった。


 二棟目の鶏舎はビニールハウスの鉄パイプで組み立てるつもりだ。設置予定地にある既設の小屋を基地にして、飼料などを置くつもり。清潔な水も用意しなければならない。しかし、8月10日過ぎに実施される田圃の害虫防除が終わるまで、予定地へ移すのは止めておかねばならない。鶏に農薬が掛かっても困る。そのうち台風が吹くようになる。となると、一気に来年の予定地へ移るしか選択の余地がなくなるかな? そこは、南と東の方向に林や藪があるので、風は幾分弱くなるだろう。一方で、加害動物への対策も考える必要がある。先日も狐が「ギャー」と声を上げていたし、そこは山と河川の堤防を繋ぐ地点なので、イノシシや熊が通過する。イタチもいるだろう。まったく、運動会にある「借り物競走」と「障害物競走」みたいだ。すべてに万全を図っていたら、ゴールは遠くなる。

 役場から職員が来て、鳥インフルエンザの対策で質問を受けた。行政機関も自分たちに責任が被ってこないように動き出している。パンデミック対策だが、パンデミックは明日起こるかも知れないし、十年後に起きるかも知れない。だから、どれだけ緊張感を持って、しかも事前の適切な被害予防策を打てるのだろうか、心配だ。
  文藝春秋の八月号には養鶏業にとって不利な記事が載っている。図書館で走り読みしただけなので熟読していないが、鶏舎から人に伝染する新型インフルエンザが発生することも記載されている。もちろんその可能性は否定しないが、確率は極めて低いことだけは断言できる。なぜなら、野鳥が鳥インフルエンザの菌を運んでくるのだから、野鳥から人間に鳥インフルエンザ菌が感染する可能性の方が高いからである。車に鳥から糞を掛けられた経験のある人は多いと思う。ワイパーで取り除いても、空気取り入れ口から車内の菌が運ばれることは充分予想される。野菜に掛けられた野鳥の糞も多い。野鳥の死骸に触れる者もあるだろう。このような環境下で、野鳥対策に注力している鶏が感染源となる可能性は極めて低い。現状は「鶏叩き」で、鶏はスケープゴートだ。自然保護の美名の基に、鶏に一方的に責任を転嫁するものに他ならないと私は思っている。野鳥を捕獲することは難しいが、野鳥の捕獲こそ最優先すべきことではないのか。
  京都大学の大澤真幸教授(哲学)が、人間の言葉は結果的に無限の可能性を議論することになっていると述べている。国会の議論でも、国策を忘れて細かい可能性の議論をしていることが多い。ひところの地方自治体の総合計画には、馬鹿なコンサルの起案による長期的な人口増加のグラフばかりが幅をきかせていた。ひとたび人口減少が主流になると、今度は人口減少のグラフばかりが目に付く。実現可能性と思考上の可能性が混線している例は、経済記事に多い。予想の違った学者や評論家は知らぬ顔を決め込んでいる。我々養鶏業の者も、新型インフルエンザが日本の鶏から発生すると言った人々や役所の者をしっかりと記録して、後々の物笑いの資料として保存を図らなければならない。

2008年6月23日月曜日

大正時代の養鶏法

 昨日は江北図書館へいった。この「江北」という意味は琵琶湖の北の地方を意味する。浅井長政の浅井家を綴った「浅井三代記」などには江北の文字が使われていることからみても、図書館の古さが想像できる。ちなみに、近年は天気予報も「湖北」という言葉に置き換わっている。
 この図書館は、明治時代に余呉町出身の杉野某が故郷に蔵書を寄贈したのが始まりである。現在では、これも米騒動の頃に作られた「伊香相救社」が設置管理している。近隣に図書館の無かった時代には、図書館の存在自体、きわめて貴重なことであったことが想像される。

 来館の目的が戦前の鶏の飼い方であることを司書に告げると、奥から「養鶏の話」という大正時代に発行された本を出してくれた。この本のタイトルは、右から左に横書きされている。紙は黄変と言うより褐色変になっている。その頃は美濃紙など和紙以外は硫酸パルプによる紙だから、中性紙などあるはずがない。かなり注意して一枚一枚を繰った。この本は貸し出し禁止が原則らしい。そこで、面白そうなことだけ抜き書きした。

 雄鳥は去勢すると肉質が良くなるとのこと。ヒナから二三ヶ月くらいが去勢の適期。去勢の仕方も詳しく書いていた。事前に昼夜絶食させておくこと。鶏を板の上に横臥させたとき、首、羽、足が固定できるようにするため、板の適切な位置に穴をあけ、ひもで固定する。睾丸をメスで切り開いて、腸を傷つけないようスプーンで上げておく。切除の器具は、金属の管に針金を折り曲げて通し、丁度、カウボーイの投げ縄のように手元で針金をひっぱると締まるようにできている。それで鶏の睾丸を切除するのだ。手術後は患部にコールタールを塗っておくと治りやすい、とある。ずいぶん乱暴な手術だが、まったく手元に何もないサバイバルの状況が現出されたら、採用してもよい方法である。

 去勢で思い出すのは、ジャバ(インドネシアのジャワのこと)から戦後引き揚げてきた親戚の人が、雄猫を自分で去勢したらしいことを小さい頃に聞いたのが頭にこびりついている。祭りの日などに、叔父さんや従妹の居る我が家へやってきて、ぽつりぽつりと話をしていたのを思い出す。穏和な彼がどのようにして猫の睾丸を抜いたのか想像できないから、いつまでも僕の記憶に残っているのかもしれない。
 もっと乱暴な方法もあった。肥肉法として、暗室を設けて、その中に鶏を入れ、朝夕の一日二回、濃厚飼料を与える。与え方は、ロート(漏斗:じょうご)を鶏の口の中につっこみ、餌を流し込むのだそうである。この方法は相撲取りの肥肉法に使えるかも知れない。或る養鶏場のホームページを見ていたら、暗室というものがあった。何に使うのかなあと思ったので印象に残ったが、案外、今でもやっている方法なのかもしれない。経営者にとっては、すこしでも「目方が乗る」と、儲けに繋がるのだから。

 「鶏の止まり木は同じ高さにする」というのも、大変参考になった。我が家の近江しゃもの鶏舎には留まりやすいようにと、二段の止まり木を作っていた。ところが夜見ると、全部が高い方に留まっている。
この本にはそのことが指摘されており、止まり木は同じ高さにするように指示してあった。「アホと煙は高いところに行きたがる」ということわざがある。年功序列の地域社会では、年齢の若い者が年寄りよりも高座を占めることを戒める言葉でもあるが、「煙と鶏は高いところに登る」と言った方が無難かも知れない。しかし、そんな言葉はアホには届かないかも知れないが。

 使われている資材も時代を反映していた。羽虫や「わくも」には、除虫菊や硫黄華。飼料には牛骨粉も載っていた。牛骨粉は狂牛病で問題になったが、それは牛がBSEへ感染するからだ。草を食べる哺乳類の牛を早く大きくさせるのを焦ったためだ。鳥類には関係ない話だろうが、近頃の消費者は過敏だから、外聞を悪くするので止めた方がいいのだろう。なにしろ遺伝子組み換えの大豆に文句を付けているんだから。遺伝子の媒介にアグロバクテリウムを使うことが気に入らないらしい。認識不足の一部のマスコミに消費者が踊らされることがないよう、優秀な理系出身女性も出ているのだから顧問にして、消費者団体自身で研究すべきだ。言葉の文節に一々反応していては、今に日本もどこかの国のようになってしまいますよ。

 最後のこれは役立つことを付け加えます。卵は石灰水中に貯蔵すれば、孵化にも影響がないようです。孵化率が百パーセントに近いとありました。私も試してみます。

2008年6月12日木曜日

学問は有効な手段として生活や仕事に役立つか

 昨日は久しぶりに旧友と会った。会う場所は、双方の中間地点に近い喫茶店にした。住宅地の奥まったところにあるこの喫茶店は、まだ一度しか来ていない。それは地元県議会議員の当選祝いの会場から流れてこの店に来たものだった。私はそのとき、カラオケで”千の風になって”を歌った。同席した同年齢の女性が「コーラスの会員になってほしい」と誘ってくれたが、それ以来なんの連絡もない。カラオケは勤めていたときから私は嫌いだった。あまり上手に歌うと、アグレッシブな性格の人から嫌みを言われたり、とにかく人間関係がギクシャクする。大方の歌う者からすると、そこそこの程度の者ばかりの方が安心するし、何より楽しいのだと思う。

 約束の時間通り、彼は軽トラックでやってきた。店のドアを開け、スリッパに履き替えて防音用ドアを開けると、誰かの歌声が聞こえてくる。歌っている男を見て、これまたびっくり。中学校1年生の時の級友だった。当時、彼はあまり勉強の方は得意でなかったが、性格の方は実に良い男だった。誘ってきた旧友を放置して、しばらく話し込んだ。

 さて、一緒に来た旧友は以前に勤めていた役所で、同じ課になったことがあった。それ以来、歳は私の方が三歳上なのだが、家も比較的近いので付き合っている。彼は若い頃は勉強家で、大学で農業経済を専攻していたことから、毎日新聞社発行のエコノミストや中央公論など硬派のものをよく読んでいた。しかし、定年を迎える頃のなると、勉強の意欲も衰えてきたのか、硬い話をあまりしなくなった。
学問上の知識をあれこれと詰め込むことは、生きていく上で有効な手段ではないと考えるようになったのか、それとも現実の生活に忙殺され、興味を失ったのかもしれない。

 私は、現在、滋賀県立大学の公開講義を受講している。前期は「人間文化論C」と「栄養生化学」をとっている。

 人間文化論Cは、家族に焦点を当て、人間関係、生活デザイン、食生活についての諸問題を三人の先生が講義される。私の受講理由は、近江しゃも(軍鶏)を飼育し、鶏肉だけでなく付加価値の高い食品を開発するためには、その消費者である現在の家族の実態を知る必要があった。単なる教養を付けるためだったら、この科目にそれほどの興味を持たなかっただろう。現に、最初の授業で三人の講師のオリエンテーションの内容を聞いて、「くだらない」といって以後来なくなった公開講義受講生がいる。目的を持たなかったら、それほど興味を持てないのは当然だ。学生の受講目的が単位の取得であっても、受講を必要としているのであるから、私と立場は変わらない。でも、一般教養の習得が受講目的なら、少し動機が薄弱だと言わざるを得ない。寄席に通うのと動機があまり変わらないからだ。

 栄養生化学は、マッキー生化学の翻訳版を教科書にして、栄養素の化学と代謝を理解することがねらいである。工業高校では生物は習っていないので、授業に付いていくのに四苦八苦しているが、五十年前に生物学を習っていても、ほとんど今のレベルは理解できないだろう。それほど生化学の進歩は著しいものだ。化学構造式に違和感を感じないので、水素結合など初めて聞く用語もあるが、化学に関しては自信がある。おかげでこの科目を選択したことに満足している。おそらく、公開講義の受講者の中で、私が一番満足しているのではないだろうか。柴田克己先生の授業の方法は、大事なことだけを教え、残りは個々人で自習するように言われている。この人の授業は、学問に興味をそそる教え方なのがよい。

 話を主題に戻すと、やはり学問は仕事や生活に有効に機能しうるものであると、私は信じる。せっかく良いカンナを手に入れても、木の削り方を知らないと、逆目でうまく削れなかったり、また、カンナの刃を砥石で研ぐやり方を知らないと、二三回の使い切りに終わってしまう。学問もシェイブアップ、バージョンアップしていかないと、生活や仕事で成果を出すまでに至らないと思う。まあこれは一般論だから、私は自分の仕事に役立つよう、これからも勉強していきたい。