2009年1月18日日曜日

利根川.立花共著の「精神と物質」を読んで

 滋賀県立大学の公開講義に参加している。後期は福渡努助教授の「分子生物学」を習っている。そして、正月休みの宿題が、この本と福岡伸一著の「生物と無生物のあいだ」を読んでレポートを出すことだった。
 この本を読み終えて、授業でならった分子生物学がすっかり分かったような気になったが、時間の経過とともに元の木阿弥に戻りつつある。なぜ分かったような気になったのだろうか。おそらく利根川博士の発見のストーリーが必然の因果関係として僕の脳に働きかけたからだろう。m-RNAがDNAの配列を転写するときに、スプライシングといって遺伝子である重要な部分だけを抜き取って転写する作用があるのだが、この作用に似たような形で、一連の流れが僕の記憶に残ったようだ。あらためて「必然の因果関係」という論理の大切さを再確認したところである。将棋や囲碁のプロが、いとも簡単に打ち始めからの配石を並べ直すのも、その時点での必然の手を模索していたからに他ならない。
 利根川博士の免疫の機構を明らかにした功績をたたえて、当時のソーク研究所のダルベッコは「利根川は最先端の機器や分析方法をうまく使って大きな発見に繋げた」という意味のことを言っている。この本を読んで利根川博士の「器用さ」を感じた。世渡りの器用さではなく、いわば日曜大工的な手先の器用さである。西洋人の論理の緻密さはいろんなところで語られているので、疑う余地はないが、日本人の手先の器用さが勝ったという感じがする。博士の日常の作業は電気泳動機器を使ってタンパク質の混合物から個別の物質を同定するものであり、気の遠くなるくらい根気の要る作業だが、新たに開発された機器や分析方法を器用に使いこなして抗体の多様性の機構を解明して行ったわけです。 でも、利根川博士は平均的な日本人と比べると、やっぱり異質な人間だよね。
 僕は周りが田圃に囲まれた田舎の村に住んでいる。村の寄り合い(会合)で、水路の水漏れに関して議論があり、大方の住人の発想が科学的でないことを痛感した。33世帯しかない村の住人の中には、学校の教員も何人か居て所帯主として参加しているんだが、具体的な話になると、科学的合理主義というツールを全然使っていないわけ。学校で何のために理科の実験をやっているのか理解してないんだなあ。
 学校でどんな実験をやっているのか僕は知らないけど、たとえば、酸性とアルカリ性を区別できるリトマス試験紙を使った実験があるとするだろう。テストでは「リトマス試験紙が赤になれば酸性、青になればアルカリ性」という知識を覚えるのが理科の実験の主目的であると勘違いしている教員が大部分ではないだろうか。もちろんリトマス試験紙の色が水素イオン濃度によって変化すること自体は大切な因果関係である。この実験で確認した因果関係をツールにして、別の自然科学的事象を合理的に説明しようとする態度を養うことが実験の主たる目的であるはずだ。
 「水路から水が漏れているのか、それとも道を隔てた別の田圃から水が漏れてくるのか、については、水に着色するなどで原因が分かるかも知れない。だから、実験をするべきだ。」と僕が言っても、思い込みの強い人間には通じないようだ。水漏れの結果だけを取り上げて、原因を勝手に推測するから困ったものだ。結局、村の執行部は水漏れのシュプレヒコールを繰り返す者に同調して、ろくに現地も確認しないまま農道を割って水路からの導水管を取替える手法を容認した。導水管の取り替えという高額の工事費を伴う実験をして、水漏れの原因を調べていると無理に理解させられているようなものだ。
 住人のこのような性行を見ている限り、自然科学がいくら進歩しても、人類は愚行を繰り返すことだろう。利根川博士は、「精神を生み出す脳などの身体はタンパク質で出来ており、精神は物質から生み出されている」という意味のことを言っている。そうだとすると、タンパク質に組み込まれた遺伝子に支配されている人間の未来は決して決して明るくないと思っている。

2008年9月12日金曜日

鳥インフルエンザと新型インフルエンザ

  こんなことを書くとマスコミに叱られそうだが、「鳥インフルエンザの報道によって、ニワトリに対する抜きがたい恐怖心を日本の社会に撒き散らしたのは新聞・テレビなどのマスコミだ」と、僕は断言してもよい。鳥インフルエンザも新型インフルエンザもごちゃ混ぜで報道されていたことを、僕は指摘している。もちろん、行政機関のマスコミへの資料提供が説明不足だったり、適切でなかったことも原因しているだろう。しかしながら、報道する立場の者は、もっと勉強すべきである。不勉強なまま、行政機関から出てきた資料や聞き取った事項を、馬鹿の丸写しで報道するから世の中に無用の混乱が起きるのだ。もっとも、最近はようやくそのことが分かってきたようで、新型インフルエンザと鳥インフルエンザを意識して使い分けるようになったよね。
  隣村の神社にアオサギが住み着いている。昨秋だが、僕が夜に神社の前の道を車で通りかかったら、アオサギが道端にたたずんでいた。まだ幼鳥で飛び始めらしく、警笛を鳴らしても退いてくれない。これが「未必の故意」だなと思いながら、ゆっくりとその上を通った。家に着いて車を降りたら、アオサギも車の下から出てきて公道に歩いて行った。
  翌朝、我が家から50メートルほど離れた家の人が役場に電話をしたらしい。「アオサギが家の前をうろついている。孫が突かれると困るので、捕まえてほしい。」ところが、役場の返事が「野鳥はむやみに捕まえられないので、放置しておいてほしい」ということだったらしい。野鳥も鳥インフルエンザに罹っているかもしてないのに、どうして鶏ばかりうるさく注意されなければならないのか、と僕は思った。そして、野鳥は「自然保護」とか「環境保護」の風に乗り、H5N1型のインフルエンザウイルスに感染していても一網打尽に捕まえられて焼き鳥にされず、マスクも掛けずに飛んでいる。
  僕は、今年の4月からシャモ(軍鶏)を10羽だけ飼っている。鶏の飼料としてホシアオバという米を今年から作り始めたので、町役場に連絡した。飼料用米は減反作物に認められているからだ。そうしたら、野鳥が軍鶏と接触しない構造になっていないか、役場から、早速、鶏舎を視察に来た。国や県から役場に指示が来ているからだが、鶏舎の周りに消石灰を撒いたり、鶏舎の出入りに長靴を消毒しなければならない。どうして鶏ばかり危険視するのかというと、「鶏の鳥インフルエンザは人に移るので超危険」という常識が世間に蔓延しているからだが、取り締まる当局も指弾されるのを恐れてやっているのだと僕は思っている。
  このような例は、他にもありそうだなあ。子供のいじめ問題の発生を恐れて、携帯電話を目の敵にしているのも似たような例かも知れない。因果関係の濃淡を他人に説明するのは、本当に難しいことなんですよ。言葉では「相当因果関係」とか「条件的?因果関係」とか言って区分できるように言っているが、現実に国内で鶏から新型インフルエンザへ転移したら、「可能性は薄かったのですが・・・」と弁解してもダメ。現実に携帯電話のメールが原因で子供が自殺したら、一気に携帯電話は悪者になってしまう。論理学の学者は何を研究しているんだね。因果関係の濃淡を説明して納得できる有効な論理は考え出せないのかね、ええ? だから日本ではクレーマーがはびこるんだよ。結果だけ報道すればよい報道機関が、ヤクザまがいに幅を効かせているんだよ。
  2009年2月3日、農水省はフランスのフォアグラを輸入禁止にしたそうです。フランスで鳥インフルエンザが発生しているからです。この事実に対しても、今後、いろんな憶測が成されることでしょう。菌が日本国内に入り込まないようにすることが本旨だと思いますが、この鳥インフルエンザが新型インフルエンザと混同されるに違いありません。フォアグラのH5N1型の菌が変異して人から人へ移るかも知れないことを否定するつもりはありません。また、少し騒ぎすぎだとたしなめるつもりもありません。しかし、憶測はできるだけ避けて、科学的知見に基づく意見に冷静に耳を傾けなければなりません。

2008年6月28日土曜日

いよいよ軍鶏が鳴き出した

 我が家へヒナを引き取ってから二ヶ月が経った。(引き取り日:4月26日)今朝(6月28日)、変な声が聞こえるのでぎょっとして鶏舎を見に行ったら、軍鶏が鳴き始めた。今のところ、「コケコー」と完全な鳴きようではなさそうだが、早朝から高らかに鳴きだしたら、近所迷惑を考えて鶏舎の位置を移さなければならない。現在は自家の裏だが、人家と距離を置く田圃の中の予定地へ移さなければならない。鶏の成長に急かされて、次の段取りを考える羽目になってしまった。


 二棟目の鶏舎はビニールハウスの鉄パイプで組み立てるつもりだ。設置予定地にある既設の小屋を基地にして、飼料などを置くつもり。清潔な水も用意しなければならない。しかし、8月10日過ぎに実施される田圃の害虫防除が終わるまで、予定地へ移すのは止めておかねばならない。鶏に農薬が掛かっても困る。そのうち台風が吹くようになる。となると、一気に来年の予定地へ移るしか選択の余地がなくなるかな? そこは、南と東の方向に林や藪があるので、風は幾分弱くなるだろう。一方で、加害動物への対策も考える必要がある。先日も狐が「ギャー」と声を上げていたし、そこは山と河川の堤防を繋ぐ地点なので、イノシシや熊が通過する。イタチもいるだろう。まったく、運動会にある「借り物競走」と「障害物競走」みたいだ。すべてに万全を図っていたら、ゴールは遠くなる。

 役場から職員が来て、鳥インフルエンザの対策で質問を受けた。行政機関も自分たちに責任が被ってこないように動き出している。パンデミック対策だが、パンデミックは明日起こるかも知れないし、十年後に起きるかも知れない。だから、どれだけ緊張感を持って、しかも事前の適切な被害予防策を打てるのだろうか、心配だ。
  文藝春秋の八月号には養鶏業にとって不利な記事が載っている。図書館で走り読みしただけなので熟読していないが、鶏舎から人に伝染する新型インフルエンザが発生することも記載されている。もちろんその可能性は否定しないが、確率は極めて低いことだけは断言できる。なぜなら、野鳥が鳥インフルエンザの菌を運んでくるのだから、野鳥から人間に鳥インフルエンザ菌が感染する可能性の方が高いからである。車に鳥から糞を掛けられた経験のある人は多いと思う。ワイパーで取り除いても、空気取り入れ口から車内の菌が運ばれることは充分予想される。野菜に掛けられた野鳥の糞も多い。野鳥の死骸に触れる者もあるだろう。このような環境下で、野鳥対策に注力している鶏が感染源となる可能性は極めて低い。現状は「鶏叩き」で、鶏はスケープゴートだ。自然保護の美名の基に、鶏に一方的に責任を転嫁するものに他ならないと私は思っている。野鳥を捕獲することは難しいが、野鳥の捕獲こそ最優先すべきことではないのか。
  京都大学の大澤真幸教授(哲学)が、人間の言葉は結果的に無限の可能性を議論することになっていると述べている。国会の議論でも、国策を忘れて細かい可能性の議論をしていることが多い。ひところの地方自治体の総合計画には、馬鹿なコンサルの起案による長期的な人口増加のグラフばかりが幅をきかせていた。ひとたび人口減少が主流になると、今度は人口減少のグラフばかりが目に付く。実現可能性と思考上の可能性が混線している例は、経済記事に多い。予想の違った学者や評論家は知らぬ顔を決め込んでいる。我々養鶏業の者も、新型インフルエンザが日本の鶏から発生すると言った人々や役所の者をしっかりと記録して、後々の物笑いの資料として保存を図らなければならない。

2008年6月23日月曜日

大正時代の養鶏法

 昨日は江北図書館へいった。この「江北」という意味は琵琶湖の北の地方を意味する。浅井長政の浅井家を綴った「浅井三代記」などには江北の文字が使われていることからみても、図書館の古さが想像できる。ちなみに、近年は天気予報も「湖北」という言葉に置き換わっている。
 この図書館は、明治時代に余呉町出身の杉野某が故郷に蔵書を寄贈したのが始まりである。現在では、これも米騒動の頃に作られた「伊香相救社」が設置管理している。近隣に図書館の無かった時代には、図書館の存在自体、きわめて貴重なことであったことが想像される。

 来館の目的が戦前の鶏の飼い方であることを司書に告げると、奥から「養鶏の話」という大正時代に発行された本を出してくれた。この本のタイトルは、右から左に横書きされている。紙は黄変と言うより褐色変になっている。その頃は美濃紙など和紙以外は硫酸パルプによる紙だから、中性紙などあるはずがない。かなり注意して一枚一枚を繰った。この本は貸し出し禁止が原則らしい。そこで、面白そうなことだけ抜き書きした。

 雄鳥は去勢すると肉質が良くなるとのこと。ヒナから二三ヶ月くらいが去勢の適期。去勢の仕方も詳しく書いていた。事前に昼夜絶食させておくこと。鶏を板の上に横臥させたとき、首、羽、足が固定できるようにするため、板の適切な位置に穴をあけ、ひもで固定する。睾丸をメスで切り開いて、腸を傷つけないようスプーンで上げておく。切除の器具は、金属の管に針金を折り曲げて通し、丁度、カウボーイの投げ縄のように手元で針金をひっぱると締まるようにできている。それで鶏の睾丸を切除するのだ。手術後は患部にコールタールを塗っておくと治りやすい、とある。ずいぶん乱暴な手術だが、まったく手元に何もないサバイバルの状況が現出されたら、採用してもよい方法である。

 去勢で思い出すのは、ジャバ(インドネシアのジャワのこと)から戦後引き揚げてきた親戚の人が、雄猫を自分で去勢したらしいことを小さい頃に聞いたのが頭にこびりついている。祭りの日などに、叔父さんや従妹の居る我が家へやってきて、ぽつりぽつりと話をしていたのを思い出す。穏和な彼がどのようにして猫の睾丸を抜いたのか想像できないから、いつまでも僕の記憶に残っているのかもしれない。
 もっと乱暴な方法もあった。肥肉法として、暗室を設けて、その中に鶏を入れ、朝夕の一日二回、濃厚飼料を与える。与え方は、ロート(漏斗:じょうご)を鶏の口の中につっこみ、餌を流し込むのだそうである。この方法は相撲取りの肥肉法に使えるかも知れない。或る養鶏場のホームページを見ていたら、暗室というものがあった。何に使うのかなあと思ったので印象に残ったが、案外、今でもやっている方法なのかもしれない。経営者にとっては、すこしでも「目方が乗る」と、儲けに繋がるのだから。

 「鶏の止まり木は同じ高さにする」というのも、大変参考になった。我が家の近江しゃもの鶏舎には留まりやすいようにと、二段の止まり木を作っていた。ところが夜見ると、全部が高い方に留まっている。
この本にはそのことが指摘されており、止まり木は同じ高さにするように指示してあった。「アホと煙は高いところに行きたがる」ということわざがある。年功序列の地域社会では、年齢の若い者が年寄りよりも高座を占めることを戒める言葉でもあるが、「煙と鶏は高いところに登る」と言った方が無難かも知れない。しかし、そんな言葉はアホには届かないかも知れないが。

 使われている資材も時代を反映していた。羽虫や「わくも」には、除虫菊や硫黄華。飼料には牛骨粉も載っていた。牛骨粉は狂牛病で問題になったが、それは牛がBSEへ感染するからだ。草を食べる哺乳類の牛を早く大きくさせるのを焦ったためだ。鳥類には関係ない話だろうが、近頃の消費者は過敏だから、外聞を悪くするので止めた方がいいのだろう。なにしろ遺伝子組み換えの大豆に文句を付けているんだから。遺伝子の媒介にアグロバクテリウムを使うことが気に入らないらしい。認識不足の一部のマスコミに消費者が踊らされることがないよう、優秀な理系出身女性も出ているのだから顧問にして、消費者団体自身で研究すべきだ。言葉の文節に一々反応していては、今に日本もどこかの国のようになってしまいますよ。

 最後のこれは役立つことを付け加えます。卵は石灰水中に貯蔵すれば、孵化にも影響がないようです。孵化率が百パーセントに近いとありました。私も試してみます。

2008年6月12日木曜日

学問は有効な手段として生活や仕事に役立つか

 昨日は久しぶりに旧友と会った。会う場所は、双方の中間地点に近い喫茶店にした。住宅地の奥まったところにあるこの喫茶店は、まだ一度しか来ていない。それは地元県議会議員の当選祝いの会場から流れてこの店に来たものだった。私はそのとき、カラオケで”千の風になって”を歌った。同席した同年齢の女性が「コーラスの会員になってほしい」と誘ってくれたが、それ以来なんの連絡もない。カラオケは勤めていたときから私は嫌いだった。あまり上手に歌うと、アグレッシブな性格の人から嫌みを言われたり、とにかく人間関係がギクシャクする。大方の歌う者からすると、そこそこの程度の者ばかりの方が安心するし、何より楽しいのだと思う。

 約束の時間通り、彼は軽トラックでやってきた。店のドアを開け、スリッパに履き替えて防音用ドアを開けると、誰かの歌声が聞こえてくる。歌っている男を見て、これまたびっくり。中学校1年生の時の級友だった。当時、彼はあまり勉強の方は得意でなかったが、性格の方は実に良い男だった。誘ってきた旧友を放置して、しばらく話し込んだ。

 さて、一緒に来た旧友は以前に勤めていた役所で、同じ課になったことがあった。それ以来、歳は私の方が三歳上なのだが、家も比較的近いので付き合っている。彼は若い頃は勉強家で、大学で農業経済を専攻していたことから、毎日新聞社発行のエコノミストや中央公論など硬派のものをよく読んでいた。しかし、定年を迎える頃のなると、勉強の意欲も衰えてきたのか、硬い話をあまりしなくなった。
学問上の知識をあれこれと詰め込むことは、生きていく上で有効な手段ではないと考えるようになったのか、それとも現実の生活に忙殺され、興味を失ったのかもしれない。

 私は、現在、滋賀県立大学の公開講義を受講している。前期は「人間文化論C」と「栄養生化学」をとっている。

 人間文化論Cは、家族に焦点を当て、人間関係、生活デザイン、食生活についての諸問題を三人の先生が講義される。私の受講理由は、近江しゃも(軍鶏)を飼育し、鶏肉だけでなく付加価値の高い食品を開発するためには、その消費者である現在の家族の実態を知る必要があった。単なる教養を付けるためだったら、この科目にそれほどの興味を持たなかっただろう。現に、最初の授業で三人の講師のオリエンテーションの内容を聞いて、「くだらない」といって以後来なくなった公開講義受講生がいる。目的を持たなかったら、それほど興味を持てないのは当然だ。学生の受講目的が単位の取得であっても、受講を必要としているのであるから、私と立場は変わらない。でも、一般教養の習得が受講目的なら、少し動機が薄弱だと言わざるを得ない。寄席に通うのと動機があまり変わらないからだ。

 栄養生化学は、マッキー生化学の翻訳版を教科書にして、栄養素の化学と代謝を理解することがねらいである。工業高校では生物は習っていないので、授業に付いていくのに四苦八苦しているが、五十年前に生物学を習っていても、ほとんど今のレベルは理解できないだろう。それほど生化学の進歩は著しいものだ。化学構造式に違和感を感じないので、水素結合など初めて聞く用語もあるが、化学に関しては自信がある。おかげでこの科目を選択したことに満足している。おそらく、公開講義の受講者の中で、私が一番満足しているのではないだろうか。柴田克己先生の授業の方法は、大事なことだけを教え、残りは個々人で自習するように言われている。この人の授業は、学問に興味をそそる教え方なのがよい。

 話を主題に戻すと、やはり学問は仕事や生活に有効に機能しうるものであると、私は信じる。せっかく良いカンナを手に入れても、木の削り方を知らないと、逆目でうまく削れなかったり、また、カンナの刃を砥石で研ぐやり方を知らないと、二三回の使い切りに終わってしまう。学問もシェイブアップ、バージョンアップしていかないと、生活や仕事で成果を出すまでに至らないと思う。まあこれは一般論だから、私は自分の仕事に役立つよう、これからも勉強していきたい。

 

2008年5月26日月曜日

鶏が狙われている

 4月26日に「近江しゃも」を我が家へ引き取ってから、今日でちょうど1ヶ月になる。近江しゃも普及推進協議会の東野(とうの)さんからミカン箱くらいの大きさの段ボールを受け取った。生まれたばかりのヒヨコだったので、雄雌の区別はできないらしい。ヒヨコはみんな、手羽の白い軸の先に黒い羽がわずかに付いている程度だった。それが今では随分大きくなった。滋賀県畜産技術センターの近江軍鶏の成鶏を見てきたので雄雌が鑑別できそうだから書くが、雌は2羽ほどで、残りの8羽が雄のようだ。成鶏の雄は肩から胴体に渡って金色の羽が生えていて、雌よりも4分の5くらい大きい。雄は観賞用にもなるほどきれいな鶏である。雌は黒い毛に覆われている。だから、成鶏の姿を思い浮かべると、ヒヨコに外見での雄雌の特徴があらわれているのだ。肉鳥にするのだから雄の方が良いに決まっている。

 畜産技術センターから退出するとき、作業服の人がいたので、軍鶏について話を聞いた。僕が「今居る10羽から孵化させてたくさんヒヨコをとりたい。」と言ったら、「それはできませんよ。生まれた卵は近江しゃもではない。ここの畜産技術センターから出す卵でないとだめ。」とのことだった。未だ勉強不足でこの事実を説明できない。
 さて本題に戻って軍鶏が狙われていることを説明しなければならない。危害を加える動物はイタチが多いらしい。頭が入るくらいの穴があれば鶏舎へ侵入できるらしい。また、地面を掘って障害物をくぐり抜けることもできるらしい。
 しかし、なんといっても一番気を付けなければならないのは人間だ。鶏が盗まれるのも困る。だが、現在飼っている10羽の軍鶏の脅威は二人いる。一人は妻のいとこの男である。彼は小さい頃、自宅で鶏を飼っていたので、味を知っている。「親父が鶏をつぶして食べたがうまかった。」と言うので、「また持っていくわ。」と言わざるを得なかった。もう一人は知り合いの男で、「以前彦根で地鶏を手に入れたが、地鶏はうまい。今ではその養鶏場はやめたので、もう手に入らなくなった。」と言うので、これも持っていくことを約束した。僕のガードが緩いのでこんなことになったが、10羽のうち2羽も取られては困ってしまう。もっとも、中学校の同級生の兄貴は「また、買いに行きますのでよろしく。」とのことだった。まだ、やっと顧客が一人しか得られていないのだ。

2008年5月10日土曜日

餌の確保がたいへんだ

 4月26日(土)に近江軍鶏のヒナをもらってきてから14日になる。この間にヒナも大きくなった。ところが、各個体間では大きさにばらつきがある。最小の個体と最大の個体のあいだには親子ほどの差ができてしまった。一番小さな奴は懸命に餌を食べているのだが、大きさに目立った変化がない。人間でも勿論そんなことはあることだから、あまり心配はしていないが、すこしでも差を小さくした。この辺のノウハウを獲得したい。
 当初長浜のアヤハディオで3袋買ってきたヒナ用の餌が少なくなってきた。なにしろ食欲が旺盛なのだ。この2週の間、ヒナの飼育にばかり注力できたらよかったが、田圃の直播やエンテロウイルス?かなにか知らないが、とにかく下痢になって2日も寝てしまった。おかげで何もかもいい加減になってしまった。
 昨日は高月の図書館へ電話番号を調べに行った。ヒナに与える飼料の素材の確保のためである。
福井県の養鶏場に飛び入りで電話をしたら、なんとその飼料は隣町木之本町の業者が入っていた。そこでその業者へ電話をしたら事情の分かる人がいなくて、今朝、8時半に電話を掛けてくれという家人の言葉だった。
 鳥の餌と言っても、いまや養鶏資材の需要は特定の業者に固定されていて、まったく知識のない新規参入者には飼料を確保することがたいへんなんだ。昔、昭和30年代には農家ではどこでも鶏を飼っていた。「ミヨサ」と呼んでいた登熟されていない籾を秋に貯めておいて、畑の菜っぱや「こぬか」と呼ぶ米ぬかなどをバケツの中で混合して水で練り、鶏に与えていた。今の時代、そんなおおらかなことはできなくなった。ミヨサなんて今は手に入らない。コンバインで田圃の中に撒いてしまう。
 滋賀県立大学には公開講義という良い制度があるので、今、柴田克己教授の「栄養生化学」を受講している。大学は管理栄養士の養成を主たる目的にしているので、授業の栄養学の対象は勿論「人間」である。しかし私は、鶏の栄養学を修めることを目的としている。ヒナが栄養不良にならないよう、「鶏の管理栄養士」となることをめざしたい。そして、ヒナの効率的な肥育ができるように早くなりたい。
ビジネスモデルとしては、ヒナの肥育と鶏肉の加工を我が社で囲い込んで、他の部分は広く開放して地場産業ができあがれば良いなあと思っている。