2008年5月26日月曜日

鶏が狙われている

 4月26日に「近江しゃも」を我が家へ引き取ってから、今日でちょうど1ヶ月になる。近江しゃも普及推進協議会の東野(とうの)さんからミカン箱くらいの大きさの段ボールを受け取った。生まれたばかりのヒヨコだったので、雄雌の区別はできないらしい。ヒヨコはみんな、手羽の白い軸の先に黒い羽がわずかに付いている程度だった。それが今では随分大きくなった。滋賀県畜産技術センターの近江軍鶏の成鶏を見てきたので雄雌が鑑別できそうだから書くが、雌は2羽ほどで、残りの8羽が雄のようだ。成鶏の雄は肩から胴体に渡って金色の羽が生えていて、雌よりも4分の5くらい大きい。雄は観賞用にもなるほどきれいな鶏である。雌は黒い毛に覆われている。だから、成鶏の姿を思い浮かべると、ヒヨコに外見での雄雌の特徴があらわれているのだ。肉鳥にするのだから雄の方が良いに決まっている。

 畜産技術センターから退出するとき、作業服の人がいたので、軍鶏について話を聞いた。僕が「今居る10羽から孵化させてたくさんヒヨコをとりたい。」と言ったら、「それはできませんよ。生まれた卵は近江しゃもではない。ここの畜産技術センターから出す卵でないとだめ。」とのことだった。未だ勉強不足でこの事実を説明できない。
 さて本題に戻って軍鶏が狙われていることを説明しなければならない。危害を加える動物はイタチが多いらしい。頭が入るくらいの穴があれば鶏舎へ侵入できるらしい。また、地面を掘って障害物をくぐり抜けることもできるらしい。
 しかし、なんといっても一番気を付けなければならないのは人間だ。鶏が盗まれるのも困る。だが、現在飼っている10羽の軍鶏の脅威は二人いる。一人は妻のいとこの男である。彼は小さい頃、自宅で鶏を飼っていたので、味を知っている。「親父が鶏をつぶして食べたがうまかった。」と言うので、「また持っていくわ。」と言わざるを得なかった。もう一人は知り合いの男で、「以前彦根で地鶏を手に入れたが、地鶏はうまい。今ではその養鶏場はやめたので、もう手に入らなくなった。」と言うので、これも持っていくことを約束した。僕のガードが緩いのでこんなことになったが、10羽のうち2羽も取られては困ってしまう。もっとも、中学校の同級生の兄貴は「また、買いに行きますのでよろしく。」とのことだった。まだ、やっと顧客が一人しか得られていないのだ。

2008年5月10日土曜日

餌の確保がたいへんだ

 4月26日(土)に近江軍鶏のヒナをもらってきてから14日になる。この間にヒナも大きくなった。ところが、各個体間では大きさにばらつきがある。最小の個体と最大の個体のあいだには親子ほどの差ができてしまった。一番小さな奴は懸命に餌を食べているのだが、大きさに目立った変化がない。人間でも勿論そんなことはあることだから、あまり心配はしていないが、すこしでも差を小さくした。この辺のノウハウを獲得したい。
 当初長浜のアヤハディオで3袋買ってきたヒナ用の餌が少なくなってきた。なにしろ食欲が旺盛なのだ。この2週の間、ヒナの飼育にばかり注力できたらよかったが、田圃の直播やエンテロウイルス?かなにか知らないが、とにかく下痢になって2日も寝てしまった。おかげで何もかもいい加減になってしまった。
 昨日は高月の図書館へ電話番号を調べに行った。ヒナに与える飼料の素材の確保のためである。
福井県の養鶏場に飛び入りで電話をしたら、なんとその飼料は隣町木之本町の業者が入っていた。そこでその業者へ電話をしたら事情の分かる人がいなくて、今朝、8時半に電話を掛けてくれという家人の言葉だった。
 鳥の餌と言っても、いまや養鶏資材の需要は特定の業者に固定されていて、まったく知識のない新規参入者には飼料を確保することがたいへんなんだ。昔、昭和30年代には農家ではどこでも鶏を飼っていた。「ミヨサ」と呼んでいた登熟されていない籾を秋に貯めておいて、畑の菜っぱや「こぬか」と呼ぶ米ぬかなどをバケツの中で混合して水で練り、鶏に与えていた。今の時代、そんなおおらかなことはできなくなった。ミヨサなんて今は手に入らない。コンバインで田圃の中に撒いてしまう。
 滋賀県立大学には公開講義という良い制度があるので、今、柴田克己教授の「栄養生化学」を受講している。大学は管理栄養士の養成を主たる目的にしているので、授業の栄養学の対象は勿論「人間」である。しかし私は、鶏の栄養学を修めることを目的としている。ヒナが栄養不良にならないよう、「鶏の管理栄養士」となることをめざしたい。そして、ヒナの効率的な肥育ができるように早くなりたい。
ビジネスモデルとしては、ヒナの肥育と鶏肉の加工を我が社で囲い込んで、他の部分は広く開放して地場産業ができあがれば良いなあと思っている。